医療人として | 糖尿病の治療について | 糖尿病についてのコラム | プロフィール
私は子供の頃、医師になりたいと思ったことは一度もありませんでした。むしろ“絶対に医師にはなりたくない”と思っていました。私の家系は祖父も父も国立大学医学部を卒業した優秀な医師で、子供の頃勉強の出来が悪かった私は“何であなたは、、、”とよく母に比較されていたからです。このまま同じ道を辿れば永遠に比較され劣等感の人生が待っているかと思うとゾッとしていました。
幼い頃、星を見るのが好きだった私の夢は天文学者でした。見知らぬ星へ行って宇宙人に会ってみたい。そんな事を考え、矢追純一氏の本をよく読んでいました。もしも今の時代に当時の私がいたら、毎日ネットで新星発見やUFO目撃事件を検索する“オタク”になっていたでしょう。
六歳から始めた剣道は、私立中学の受験に失敗したため勉強の妨げになると中学校の剣道部に入ることを禁止され、文科系クラブに入ることを余儀なくされました。
しかし、そこで出会った音楽に魅せられて、勉強などするわけもありません。中学から高校生の時はバンドマンになりたいと思っていました。尾崎豊をこよなく愛し、従うとは負ける事と自分に強く言い聞かせていた。よって、強い意志を持って医師にならないと心に決めていました。
もちろん、卒業文集の将来の夢にはしっかりと“医師”と明記しています。後で面倒くさいことになるのが嫌だったからです。
高校2年生の時、友人(彼はバンドマンではない)が都内のある予備校に通うというので一緒に試験を受けたのが、今考えると人生の転機かもしれません。それから猛勉強が始まった。ただ単に周りに負けたくなかったらで、将来の夢のためとかいう高尚な理由は有りませんでした。そんなある日、全国高校模試があり成績上位者に名前が出ました。有名高校が並ぶ中、神奈川県立相模大野高校という無名校の名前を挙げた私は、バンドマンから一転学園の期待の星となり、みんなのために昇れるところまで昇ってみようと思うようになりました。その時応援してくれた仲間たちには今でも感謝しています。
高校3年生の時、数学者 秋山仁先生の講義が衝撃的で雷に打たように人生観が変わりました。“無から有を生み出せ”という言葉に感銘を受け、自らの生い立ちに背を向けず立ち向かっていこうという気持ちで、とりあえず医学部に入学することを決めました。祖父と父が医師で自分が医学部に行かないと“不出来な子”と言われるのが悔しかったというのもありますが、、、。
大学3年生の時、祖父が他界しました。その葬儀の際、沢山の人たちが笑顔に涙で感謝をしているのを見たとき、医師という職業の素晴らしさを知りました。祖父は福岡市内で外科医として開業し、近所のお寺の小僧さんが虫垂炎になった際“坊主から金を取れるかっ”といって無料で手術をした医師でした。私は子供の頃からビールを飲んで時代劇を見ている祖父しか覚えていませんでしたが、葬儀の時に一種の憧れを覚えたのが、本当の意味で医師を志した第一歩かもしれません。
河盛 隆造(かわもり りゅうぞう):日本糖尿病学会名誉会員。順天堂大学大学院医学研究科(文科省事業)スポートロジーセンター センター長。トロント大学医学部教授併任。前・順天堂大学医学部・代謝内分泌内科学教授。刻々と変動する血糖値は、“糖のながれ”の結果であるとの立場から、肝に流入するインスリン・グルカゴン・ブドウ糖のカクテルの比率、これを受け取る肝、筋などの性状などを詳細に検討し、糖尿病の発症、治療指針を考えている。
糖尿病の専門医になろうと思ったのは師である河盛隆造先生の影響です。私は循環器内科になりたいと思っていました。理由は簡単でカッコイイからです(笑)。
しかし、河盛先生のご講演と教授回診を受け、糖の流れの美しさに魅せられました。河盛先生はインスリンの発見者の一人であるチャールズ・ベスト先生の唯一の日本人のお弟子さんであり、糖尿病診療への思いは熱いものがありました。私は河盛先生の教えを後世に少しでも大きくして伝えたいと思い、糖尿病専門医の道を迷わず選びました。しかし、当時糖尿病はさほど注目される病気ではありませんでした。
順天堂医院の内科研修医代表をしていた私が、糖尿病内科に入りますと言うと“君は急変が嫌なのか?”とか“楽がしたいのか?”と他の内科の先生方に罵られたものです。しかし、時代が変わって今や糖尿病は国民病だ。私の選択は正しかったと確信しています。
柳瀬 敏彦(やなせ としひこ):福岡大学医学部内分泌・糖尿病内科 教授。内分泌・代謝、糖尿病、肥満、アンチエイジング/
日本内分泌学会認定内分泌専門医、日本糖尿病学会認定糖尿病専門医、日本抗加齢医学会認定抗加齢医学専門医、NSTコーディネーター。
福岡大学医学部内分泌・糖尿病内科ウェブサイト:
http://www.med.fukuoka-u.ac.jp/interna5/staff.html
内分泌・糖尿病内科科長 柳瀬敏彦先生のご挨拶より:
http://www.med.fukuoka-u.ac.jp/interna5/greeting.html
現在は柳瀬敏彦先生の御指導の元、内分泌・糖尿病の臨床と研究に励んでおります。福岡大学のポストに着任できたのは柳瀬先生のご尽力のお陰と感謝するとともに、不思議な御縁も感じております。
もともと内分泌が御専門である柳瀬先生と糖尿病が専門の私には接点がありませんでした。しかし、福岡に戻りたいとの事を現在福岡市内で御開業されている桶田俊光先生にご相談したところ、真っ先に柳瀬先生をご紹介頂きました。その理由は、柳瀬先生、桶田先生、そして私の父の三名が九州大学剣道部という繋がりがあったからです。つまり、政治的な策略や学問的背景があったわけではなく“剣道”という尊い武道によって成された異動でした。
柳瀬先生に初めてお会いした時からその人柄に魅かれ“この人について行こう”と心に決めました。私が順天堂を辞めることに怒り心頭であった師匠に礼を尽くして説得して頂いたのも柳瀬先生で、本当に敬愛する頭が上がらない存在です。後日“あの時は相手の父親に反対されている女性との結婚をお願いする時の気持ちはこんなものかと思ったよ”と仰ってました(笑)。
また、実はお互いに先祖の発祥の地が近いこともあり、目に見えない不思議な御縁で繋がっているような気がしてなりません。
柳瀬先生と私は歩んできた研究のフィールドが違うため、お互いのフィールドが重なり合った時、興味深い化学反応を起こした研究が生まれます。最近『Diabetes誌』に通った論文は、アンドロゲン研究の御専門である柳瀬先生と、細胞増殖シグナルを研究してきた私のまさにコラボでした(掲載ウェブサイト(英文):American Diabetes Association [ DiabetesJournals.org ])。
これからも柳瀬先生を支え、世界にむけて新しい発見を発信していきたいと思っております。我々の合言葉は“福岡発、世界へ”です。
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