医療人として | 糖尿病の治療について | 糖尿病についてのコラム | プロフィール
晴天の霹靂と言うべきか、結果から考えると災いを転じて福となすとでも言うべきか、、、。2015年糖尿病診療における大事件といえばEMPA-REG OUTCOME試験の結果であろう(N Engl J Med. 2015 Nov 26;373(22):2117-28)。SGLT2阻害薬エンパグリフロジン(ジャディアンスⓇ)を用いた大規模臨床試験において、プラセボ(偽薬)に比して心血管死や心血管イベント(脳梗塞、心筋梗塞等)がエンパグリフロジンで有意に抑制された。この事件はチアゾリジン誘導体ピオグリタゾン(アクトスⓇ)を用いたPROACTIVE試験(Lancet. 2005 Oct 8;366(9493):1279-89)以来の快挙であり、糖尿病専門医のみならず循環器内科の先生方にも大きな衝撃をもたらした。糖尿病協会が出版する月刊誌“さかえ”の2016年1月号では、我々幹事の新春座談会の模様が掲載されているが、最初に口火を切った柴田大河先生が開口一番にEMPA-REG OUTCOMEの結果について触れている。ちなみに私も編集員を勤める“さかえ”は糖尿病に関する様々な知識を、専門家が分かりやすく解説している月刊誌なので、医療関係者以外の方も是非読んでいただきたい。
糖尿病診療の目標は、血糖を下げることのみに留まらず、血管合併症の発症進展を抑制し、生活の質や寿命を確保することにあると糖尿病治療ガイドに明記されているが、実際に心血管イベントや心血管死の抑制を明確に示す事ができた抗糖尿病薬は僅かである。糖キング第08話でも書いたとおり、我々がこよなく愛するDPP-4阻害薬がことごとく結果を出せずにいたものが、我々が恐れ、邪道だとまで言われていたSGLT2阻害薬が最初の試験から素晴らしい結果が得られた現実をもって、我々は固定概念を変えざるを得ない時が来たのかも知れない。しかし、一点注意しなくてはいけないのは、TECOSをはじめとしたDPP-4阻害薬の試験は、血糖を同程度にコントロールしているのに対し、EMPA-REG OUTCOMEでは、プラセボに比してエンパグリフロジンが著明に血糖を改善している点で、同等な比較評価はしにくいという点である。今回の試験結果で、最も重要なメッセージは、プラセボと有害事象がほぼ同等である点と考える。若干の感染症の増加はあったものの、これだけのハイリスク群でもSGLT2阻害薬が大事故無く、安全使えることを証明した。また、血糖のみならず、収縮期血圧の低下やHDLコレステロール(善玉コレステロール)の上昇と言った、UKPDSが示す2型糖尿病患者の冠動脈疾患(心筋梗塞など)リスクファクターを複数改善している。まさに、マルチタレントであることが分かった。
SGLT2阻害薬が臨床応用され始めた時期のある講演会で、SGLT2の発見者である大阪大学大学院 金井好克先生と共演させて頂いた際、“結果次第では、金井先生はノーベル賞候補になられるかもしれませんね”と私は半分冗談・半分真面目に言ったことがあったが、現実味を帯びてきた感がある。
しかし、そもそも、特にわが国で何故DPP-4阻害薬がこよなく愛され、SGLT2阻害薬が好かれないのであろうか。副作用の面も懸念されていたが、副作用の無い薬などはこの世にない。EMPA-REG OUTCOME後もSGLT2阻害薬は脱水、ケトン体産生、筋肉量の低下には注意が必要であり、痩せ型の高齢者糖尿病に投与するべきではないが、他の抗糖尿病薬を含めた薬剤に比して作用機序が単純なSGLT2阻害薬は、注意点が予測可能であり、むしろ使いやすいとも捉えられる。私はこの概念の背景に糖尿病学の“膵β細胞至上主義”があると考える。糖尿病とはインスリンの絶対的・相対的作用不足であり、インスリンの補填と膵β細胞からのインスリン分泌能改善が治療の大道であり、百歩譲ってインスリン抵抗性を改善する薬剤は許せるが、インスリンに無断で糖を捨て去る薬など許せないっ!!という固定概念が我々の中に巣くっているのではないか。確かに、治療とは病態の改善であり、不足したものを補うことが理に適っているが、糖尿病という病態を膵β細胞の疲弊という一視点からではなく、心血管イベントのハイリスク群であるという観点から大きく診ると、高血糖、高インスリン血症、高血圧、体重増加を改善するSGLT2阻害薬は、ポジティブに捉えられるべき薬剤である。
また、ある意味でSGLT2阻害薬は膵β細胞の改善にも寄与している。私はよく、2型糖尿病患者の膵β細胞は走りつかれた馬車馬であり、それに鞭を打つ悪魔がスルホニル尿素薬、人参を差し出す天使がインクレチン関連薬という例えをするが、インスリンに依存せずに膵β細胞の負荷なく血糖を下げるSGLT2阻害薬は、馬車の荷を降ろす執事の役割を担うとも言える。また、糖キング第03話でお話した糖尿病と癌の関連メカニズムにおいても、SGLT2阻害薬は興味深い作用を有している。まず、高血糖を確実に解除してくれる。また、インスリンに依存しない血糖降下作用であるため、インスリン需要量を減少させ、内因性・外因性のインスリンを減量する事が可能である。さらに、食事療法が守れれば、痩せることも期待できる。すなわち、SGLT2阻害薬は癌と糖尿病のメカニズムを促進することなく血糖コントロールが出来る薬剤かもしれない。多少なりともSGLT2阻害薬に否定的で、スルホニル尿素薬がジャイアン、SGLT2阻害薬がスネ夫と呼んでいた私も反省し、実はスネ夫は出来杉君だったのかもしれない、と最近は講演している。
EMPA-REG OUTCOMEが教えてくれたのは、糖尿病診療における膵β細胞至上主義からの脱却かもしれない。究極の質問をすると、インスリン分泌が十分あって心血管イベントを起こす患者と、インスリン分泌能が低下しているが、心血管イベントを起こさない患者ではどちらが幸せであろうか。また、癌に関しても然り。我々は治療の本当の意義を見直す必要がある。糖の流れやインスリン発見がミラクルであった事から糖尿病学を始めた私にとっても、SGLT2阻害薬の有効性は、にわかには信じがたいものであったが、無知が不信感を、理解が安心をもたらすのではないか。順天堂大学理事長小川秀興先生は、自分が苦手な人とより付き合い、自分を磨きなさいとよく仰っていた。SGLT2阻害薬をより深く理解する事が、恐れを封印し、新たな武器を手に入れることに繋がるといえる。
ただ一点困った事は、SGLT2阻害薬の投薬が増えると、糖キング第06話でご紹介したウリエースⓇ(尿糖チェック)を用いた食後高血糖チェックが出来なくなる事だ。
<残心>難しい事を分かりやすい表現で!
エグスプロージョンというダンスユニットをご存知でしょうか。今風の二人組みが学生服を着て、キレキレのダンスと軽快な音楽で本能寺の変をはじめとした様々な日本史を概ね正しい史実に基づいて紹介してくれています。真剣に“歴史学”を学ばれている先生方は、ふざけていると憤慨されているかもしれませんが、私はこのような分かりやすい表現で、非専門の方に難しい内容を解説するのは、内容に誤りが無ければ良い事と思います。私もよく試験前、頭に入りにくい診断基準や数値を、語呂合わせやリズムにして覚えたものです。
同様の試みを、糖尿病患者教育で行なわれている先生がいらっしゃいます。広島県尾道市村上記念病院の山辺瑞穂先生です。著作権の関係上詳細はお伝えできませんが、山辺先生は○○ケンサンバをはじめとした誰でも知っている曲の替え歌で、糖尿病やメタボリック症候群について患者さんに教えておられます。素晴らしい取り組みと思います。難しい事を難しく伝えるのは簡単です。実は難しい高度な内容を、相手目線で分かりやすい表現で伝えるのが、真の賢者ではないでしょうか。
ちなみに私は“ペリー来航”がエグスプロージョンの中で一番好きです(笑)。
【残心(ざんしん)】日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。(Wikipediaより一部抜粋・転載)
【第01話】多くの人生を変えたミラクルドラック・インスリン
【第02話】HbA1cの呪縛
【第03話】糖尿病と癌
【第04話】糖毒性という名のお化け
【第05話】医者らしい服装とは?
【第06話】食後高血糖のTSUNAMI
【第07話】DMエコノミクス
【第08話】インクレチンは本当にBeyondな薬か?
【第09話】守破離(しゅ・は・り)
【第10話】EMPA-REG OUTCOMEは糖尿病診療の世界を変えるか?
【第11話】新・糖尿病連携手帳
【第12話】過小評価されている抗糖尿病薬・GLP-1受容体作動薬
【第13話】ADAレポート2016
【第14話】メトホルミン伝説
【第15話】Weekly製剤を考える
【第16話】糖と脂の微妙な関係
【第17話】チアゾリジン誘導体の再考~善とするか「悪とす」か~
【第18話】糖尿病患者さんの死因アンケート調査から考える
【第19話】Class EffectかDrug Effectか
【第20話】糖尿病治療薬処方のトリセツ執筆秘話
【第21話】大規模臨床試験の影の仕事人
【第22話】低血糖の背景に、、、
【第23話】ミトコンドリア・ルネッサンス
【第24話】血管平滑筋細胞の奥深さ
【第25話】運動療法温故知新
【第26話】糖尿病アドボカシー
【第27話】GLP-1の真の目的は何か
【第28話】糖尿病連携手帳 第4版
【第29話】残存リスクを打つべし!
【第30話】糖尿病という病名は変更するべきか
【第31話】合併症と併存症
【第32話】メディカルスタッフ
【第33話】新・自己管理ノート
【第34話】グルカゴン点鼻薬とスナッキング肥満
【第35話】SGLT2阻害薬 For what?
【第36話】血糖値と血糖変動のアキュラシー
【第37話】経口GLP-1受容体作動薬
【第38話】コロナ禍をチャンスにする糖尿病診療
【第39話】HbA1cはウソをつく、こともある
【第40話】糖尿病治療ガイド2022-2023:私のポイント
【第41話】順天堂大学医学部附属静岡病院
【第42話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム
【第43話】降圧薬のBeyond
【第44話】糖尿病治療はデュアルの時代
【第45話】兄貴に捧げるラストソング
【第46話】血糖だけにこだわらない!糖尿病治療薬の考え方・使い方
【第47話】糖尿病は治るのか?
【第48話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム(第2版)
【第49話】医師の働き方改革
【第50話】GLP-1受容体作動薬のセレクト
【第51話】肥満症の治療薬
【第52話】Dear ケレンディア
【第53話】高齢ダイアベティスの極意~キョウイクとキョウヨウ~
【第54話】尿アルブミンは心血管の鏡
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