医療人として | 糖尿病の治療について | 糖尿病についてのコラム | プロフィール
低血糖は良い血糖コントロールの裏返しだ。我々が若いころにはそう教わったものだ。いまでは時代錯誤なこんな発言も、当時は当たり前のように教えられていた。そして我々は患者さんに"低血糖になったんですね、良かったですね、よく治療されている証拠ですね"と誇らしげに伝えていた。今考えたらあの時、患者さんの思いは複雑だったであろう。医療従事者の読者の方で、低血糖になった経験がある方はおられるだろうか。私は以前、後輩の研究の被検者としてグルコースクランプの実験台になった時に遷延性の低血糖を経験している。自分の体が自分のものではないような、不思議というか不愉快な気分であった。あんな気分の時に"良かったですね"と言われたら、さぞかし不快であろう。しかし今は時代が違う。ACCORDという歴史に残る素晴らしい研究結果のお陰で(N Engl J Med 2008 Jun 12;358(24):2545-59)、低血糖は心血管イベントや心血管死の独立した危険因子であることが判明し、避けるべき有害事象となった。低血糖は交感神経の活性化を介し、血管の攣縮や心拍数の増大を生むのみばかりか、内皮機能障害や血管炎症、血栓傾向を高めることで、直接的に心血管イベントを増やしている。
重症低血糖は英語でSevere Hypoglycemic Events(SHE)と呼ばれているので、"SHE is dangerous!"と覚えられる。交感神経の活性化に伴う動脈硬化悪化の詳細な分子メカニズムを、順天堂大学の三田智也先生らが詳細な研究をされている(Diabetologia 2011 Jul;54(7):1921-9)。低血糖にならないように血糖コントロールすることは、心血管イベントを避けながら血糖コントロールをすることになり、剣道で例えるならば"自分は打てるが相手は打てない間合いをつくる"と言いかえられるであろう。低血糖は高齢者の認知機能悪化も促進し、転倒→骨折→寝たきりにも繋がることから、特に高齢者で注意が必要であり、高齢者の治療目標が別途定められている。
しかし、ここで一点見落としてはいけない事実がある。ACCORDの論文中、ABSTRUCT(要約)の中のRESULTS(結果)の最後の行に"強化療法群では10㎏以上体重増加した者が多かった"と書かれていることだ。低血糖と体重増加は一元的に考えてよいのか、また低血糖だけが悪なのか。インスリノーマというインスリンを過剰に産生する腫瘍性の病気がある。突然低血糖で倒れるので、かつては精神疾患と誤解されていた。私も何例かのインスリノーマの患者さんを診察したことがあるが、ほとんどが肥満している。インスリンの過剰産生のよる低血糖から逃れようとするため、生体防御的に過食になり肥満に陥るのだ。この"インスリノーマ→肥満"の理論をACCORDに適応すると、低血糖を解除もしくは避けるために過食になり、体重が増加したことも予後を悪化させた原因ではないか。さらに、GLP-1受容体作動薬リラグルチドが心血管イベントを抑制することを華々しく報告したLEADERⓇにおいても、対照群では圧倒的にインスリンやスルホニル尿素薬が多く使われ、低血糖が多く体重も高かった(第13話参照)。すなわちLEADERⓇで示されたのはGLP-1の血管保護作用ではなく、GLP-1を使わないためにインスリンやスルホニル尿素薬で血糖を下げに行ったために低血糖が増え、それを予防しようと過食になり、体重も増えたことが心血管イベントを悪化させた可能性も考えられる。
となると、第13話に述べたリラグルチドの前立腺癌抑制作用はGLP-1が良かったのではなく、インスリンやスルホニル尿素薬が悪かったのかもしれない。そう言えば、前立腺癌が著明に悪化したインスリノーマの患者さんを診たことがある。果たして真実はいかに、、、。後日再度検証したい。 最後に、最近報告されたわが国の糖尿病診療の英知を集結した世界に誇る臨床研究"J-DOiT3"においても、3番目に多かった癌が前立腺癌であったことを付け加えておきたい(Lancet Diabetes Endocrinol. 2017 Dec;5(12):95)。前立腺癌は糖尿病患者のメジャーな癌といえる。
<残心>ヒルビリー・バップス
今年の正月に、実家に置いてあったLPレコードを売却しました。思い出が詰まったアルバムが沢山ありましたが、もうプレイヤーも持っていませんし、最近のレコードブームもありますので、誰か聞いてくれる方があれば幸いと思い、手放すことにしました。音楽と共に青春時代を過ごした私はThe Beatlesの限定版などの珍しい品も所有していいましたので、きっと高値が付くであろうと思っていましたが、最高値で引き取られたのは"ヒルビリー・バップス"というバンドのアルバムでした。ヒルビリー・バップスとは1980年代を中心に活躍した和製ロカビリーバンドで、あまりメジャーではありませんでしたが、楽曲が個性的で素敵なバンドでした。当時一世を風靡した尾崎豊やBOOWYよりも、私が秘かに気に入っていたヒルビリー・バップスのレコードが高値で買い取られるとは、嬉しくなってしまいます。私の記憶では、最もヒットした曲は"ビシバシ純情!"という曲でした。"ビシバシ"とか"純情"なんて言葉、今では全く耳にしませんが、なんだかイイですよね、、、。ティーンネイジャーだった頃の僕が、少しのお小遣いと共に大切な気持ちをリマインドしてくれた気がしました。これからも、あの頃の自分に恥じぬようビシバシ頑張ります。
最後に、元Vocalist宮城宗典さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
【残心(ざんしん)】日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。(Wikipediaより一部抜粋・転載)
【第01話】多くの人生を変えたミラクルドラック・インスリン
【第02話】HbA1cの呪縛
【第03話】糖尿病と癌
【第04話】糖毒性という名のお化け
【第05話】医者らしい服装とは?
【第06話】食後高血糖のTSUNAMI
【第07話】DMエコノミクス
【第08話】インクレチンは本当にBeyondな薬か?
【第09話】守破離(しゅ・は・り)
【第10話】EMPA-REG OUTCOMEは糖尿病診療の世界を変えるか?
【第11話】新・糖尿病連携手帳
【第12話】過小評価されている抗糖尿病薬・GLP-1受容体作動薬
【第13話】ADAレポート2016
【第14話】メトホルミン伝説
【第15話】Weekly製剤を考える
【第16話】糖と脂の微妙な関係
【第17話】チアゾリジン誘導体の再考~善とするか「悪とす」か~
【第18話】糖尿病患者さんの死因アンケート調査から考える
【第19話】Class EffectかDrug Effectか
【第20話】糖尿病治療薬処方のトリセツ執筆秘話
【第21話】大規模臨床試験の影の仕事人
【第22話】低血糖の背景に、、、
【第23話】ミトコンドリア・ルネッサンス
【第24話】血管平滑筋細胞の奥深さ
【第25話】運動療法温故知新
【第26話】糖尿病アドボカシー
【第27話】GLP-1の真の目的は何か
【第28話】糖尿病連携手帳 第4版
【第29話】残存リスクを打つべし!
【第30話】糖尿病という病名は変更するべきか
【第31話】合併症と併存症
【第32話】メディカルスタッフ
【第33話】新・自己管理ノート
【第34話】グルカゴン点鼻薬とスナッキング肥満
【第35話】SGLT2阻害薬 For what?
【第36話】血糖値と血糖変動のアキュラシー
【第37話】経口GLP-1受容体作動薬
【第38話】コロナ禍をチャンスにする糖尿病診療
【第39話】HbA1cはウソをつく、こともある
【第40話】糖尿病治療ガイド2022-2023:私のポイント
【第41話】順天堂大学医学部附属静岡病院
【第42話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム
【第43話】降圧薬のBeyond
【第44話】糖尿病治療はデュアルの時代
【第45話】兄貴に捧げるラストソング
【第46話】血糖だけにこだわらない!糖尿病治療薬の考え方・使い方
【第47話】糖尿病は治るのか?
【第48話】2型糖尿病の薬物療法のアルゴリズム(第2版)
【第49話】医師の働き方改革
【第50話】GLP-1受容体作動薬のセレクト
【第51話】肥満症の治療薬
【第52話】Dear ケレンディア
【第53話】高齢ダイアベティスの極意~キョウイクとキョウヨウ~
【第54話】尿アルブミンは心血管の鏡
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